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アラフォー編集者が行くグルメシ!地方の旅 in 岐阜 Vol.8

#スポット

2022.12.08

文化を絶滅させないために

アラフォー編集者が行くグルメシ!地方の旅。岐阜編の最後を飾るのは、取材をさせていただいたけれど、ドラマ本編ではくわしくご紹介できなかった伝統工芸品たちについて。ドラマ本編?って、この連載の設定を無視してますが、そこは言わぬが花(笑)。ご了承くださいませ。

第一話 岐阜和傘

まずは岐阜県岐阜市で生産されている「岐阜和傘」。江戸時代、美濃国・加納藩の藩主となった松平光重が旧領の明石から傘職人を連れてきたのが「岐阜和傘」誕生のきっかけです。
長井直陳(なおのぶ)が加納藩主時代(1750年代)に石高の減少や水害による財政難の中、下級武士に傘つくりの内職を薦め、藩の特産品として江戸に大量出荷する体制が整われたとのこと。開いた時はもちろんのこと、閉じたときの細身の姿勢の美しさが特徴で、人気を博したそうです。

ただ近年は職人の高齢化や原料の不足で存続の危機に。そんな中、美を愛する若き女性たちが岐阜和傘に注目。職人の世界に足を踏み入れ、時代に合わせた新たなデザインのものなどが作られるようになり、専門のお店も出来たことで徐々に販路も広がってきているとか。今年3月には、経済産業省が指定する国の伝統的工芸品にも新規指定されました。
「(ふるさと納税の返礼品にもなり)支援してくださる方がいるお陰で、新しく始めた人や、教える方にも手当てが出せるのでありがたい」とは取材させていただいた女性職人さんのお言葉。技術を守るには、その技術を守る人を守ることが大切なんですよね。

ちなみに第一話、菰野大臣(南圭介)が森蘭丸にふんしていたイベント会場で若杉(蕨野友也)がハルコさんに差しかけていたのがこの岐阜和傘です。まりかさんの誕生日にスタッフからプレゼントとしても贈られたとか♪

第二話 岐阜うちわ

続いてご紹介するのは岐阜うちわ。ドラマでは第二話で、ハルコさんが鵜舟に乗りながら使用しているところが登場いたしました。そしてこちらも国の伝統的工芸品。長良川鵜飼のお土産の品として作られ始めたのが起源と言われていて、室町時代、御所に努める女官たちが交代で綴った日記『御湯殿上日記』に毎年御所に献上されていたという記述も残っている由緒ある工芸品です。

種類は漆を塗った「塗うちわ」(現在はカシュー塗料を代用することが多い)と、柿渋と塗った「渋うちわ」、そして雁皮紙という薄い和紙を使い透けるようなデザインが施された「水うちわ」の3種類。水うちわにはニスが塗られ、撥水効果もあることから、水につけてそのしぶきも楽しむこともできたのだとか。ただ、取材した現在唯一岐阜うちわを生産している住井冨次郎商店の住井さんいわく「昔、水につけて破いてしまって親から怒られた、というお客さんがいた。安い買い物ではないのでお薦めはしないよ(笑)」とのこと。

一本の竹の節を境に細かく裂き、扇状にしたものに和紙を張り付けるとても繊細な技術のいるもので、中には失われかけた技術も。住井さんがお父様の後をついだ時、水うちわは実は作らなくなっていたそう。材料が少しだけ残っていたものの、そのストックもすぐになくなり、住井さん自ら探して復活させたそうです。とはいえ、材料を作る方もどんどんいなくなり、実際に房(うちわの柄につけるもの)や膠(にかわ)はもう作る人がいないと寂しそうに仰っていました。

「必要じゃないものは淘汰されていく。キセルを使わなくなってキセル屋さんなくなれば、キセルの掃除屋さんもなくなる。使わないものはなくなっていく。寂しいけどね」

最終回 岐阜提灯、甲冑

最終回からは2つご紹介。ひとつ目は「岐阜提灯」。明治維新によって文明開化の波が日本にも訪れ、ランプの登場などで一度は消えかけた提灯文化。そんな中、尾張藩が作る提灯は提灯に絵を描いていたことで工芸品として残る道を探ったとのこと。取材した会社の方によれば明治天皇が「こんなに素晴らしいものはない」と仰り、守らなくてはいけないと携わっていた方々が頑張り、海外の博覧会で金賞を得てアメリカから注文も殺到。再興の道が作られたそうです。

ただ、その後も受難の日々は続きます。戦争が始まった時には工芸品としての需要が激減。その際は、出陣のときの提灯の需要が増えたことで業界は踏みとどまったものの、戦後は日本全体が困窮していたため、そもそもの需要がなくなる事態に。ところが、今度は米兵や関係者の土産物として喜ばれ再び踏みとどまる形に。その後は、お盆の需要が増えるなどしたことで何度も危機を乗り越えてきたとのこと。

薄紙を用いた岐阜提灯は光で絵が浮き上がるのが特徴。海外向けが多かったかつては舞妓さんや富士山など日本文化を描いたものが多かったそうですが、お盆向けのものが多い昨今は花が描かれているものが主流だそうで、実際に明かりをつけると、やさしい絵柄と明かりが、部屋だけでなく心も明るくしてくれるようなそんな印象を受けました。

もうひとつご紹介するのは、甲冑です。実は甲冑は鉄の加工、組紐の技術、漆の塗りなど、ほぼ失われた技術の宝庫と言っても過言ではないものなんです。
写真は第一話から登場したハルコさんが悪人を成敗する際に身に着けていたもの。甲冑師の西岡文夫さんと奥様の千鶴さん制作のもので、今回はドラマでの使用を快く受けてくださいました。

国が認定する甲冑師さんは全国にたった2人。(文化財の保存に不可欠な選定保存技術(甲冑修理)の保持者としての認定)そのうちの一人である西岡さんは子供のころから神社などが好きだったそうで、様々な技術が必要な甲冑師という仕事を知り、「一生かけてやれる仕事だ」と25歳の時にこの道に入ったそうです。

苦労されたのは、古い甲冑には文献が残されていないこと。甲冑に関するする文献は江戸時代くらいのものは残されているそうなのですが、それ以前のものはなく、例えば鎌倉時代の甲冑はそもそもの作りが違うのに、何がどう違うのか知っている人もおらず、実物を見て自分で試行錯誤して作り方、直し方を探るしかなかったとのこと。

「なるべく忠実に作る事を大事にしている。ごまかしをしない。手抜きをしない。作った兜の高さが3ミリ違ったので作り直したこともある。いかにオリジナルに近づけるのかが大切。時代(経年)によって修理されていたり形が崩れていたりするものを、取り払って出来る限り理想に近い形を追求していく」

新たな修復の仕事などが入ると、それぞれのパーツの紙型を一から作り、実際に組み上げてどう動くかなど確かめてから修復作業をされるそうで、妥協しない西岡さんの真摯な姿勢が、失われた技術を取りもどす原動力になっているのだと感じました。本当にすごいことを成し遂げ続けている方なんです!そんな西岡さんですが、やはり後継者の問題には頭を悩ませているとのこと。選定保存技術保持者として国からの支援はあっても、給料の保証などはなく、お弟子さんたちが食べていくにも仕事がコンスタントに入ることが条件。なかなかその技術だけでは食べていけないのはどの伝統工芸の世界でも共通する問題のようです。特に材料となる組紐などの後継者の方が少なくなっているそうで、組紐だけで生活していくのは甲冑より大変だと西岡さんは仰ってました。

実は西岡さんの甲冑の組紐は奥様の千鶴さんが担当されているんです。千鶴さんに伺ったところ、西岡さんが甲冑師になってから「見るに見かねて」組紐の技術を習得したとのこと。
「(甲冑は)多種多様な技術が必要なので、さすがに紐までは無理だろうと自分が習うことにしたの」

あっけらかんと明るく話す千鶴さんの笑顔と、穏やかに、そして丁寧にお話をしてくださった西岡さんの優しさが印象的な、素敵な取材となりました。

それぞれの工芸品の取材を通し、感じたのは、職人さんの思い、ご夫婦の絆やお弟子さんの情熱が日本の伝統技術を守ってくださっているということ。でも、「愛と絆が守る伝統技術」と言えば聞こえはいいですが、愛、根性、情熱……そこだけに頼ってはいけないのではないか……残すべきものをきちんと残せるようにするにはどうしたらよいのか……国だけでなく、一人の日本人として、この記事を書いた責任とともに自分自身、しっかり考えて続けていきたいと思います。
(編集M)

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